阿波新聞第3弾
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阿波新聞
なぜ上場したいのかと粗探しのようにしつこく聞いてくる人がいた。
理由はない。かっこいいからだ。
AIに質問するように人間に質問するのはもう老害だ。感情に勝るものはない。
あなたは、ラコステの白ティーを着ている。なぜそれを買ったのか。
【AI時代に投資するべき物の提案】
先月、AIが苦手な「過程」に投資するべきだと書いた。では、過程に投資した人間は、その先に何に向かうのか。
AIによって会話や問題解決のスピードは、これからも増していくだろう。そんな時代に生き残り、注目を集める人間とは何か。僕の答えは、「言葉にできない色っぽさ」がある人間だ。
その人がどんな人生を送り、何にこだわってきたのか。過程や歴史から生まれる表現に価値が出てくると思う。
これからの時代、合理的な会話や理論的な思考はAIでよくなる。人間に求められるものは判断力と自分を表現する力だ。
例えば、MBTIや血液型診断がその人の価値を下げている。
「私、ENFPだから冷静な人と結婚したい」
この言葉をここ2年ほどで何度も聞いた。
「私、こういう性格です。だからこういう人がいいらしい」。自己表現と判断を他人にゆだねる作業を、効率的に行えている。いかにも現代っぽい。
ただ、この表現に色っぽさや人間味は感じない。他人が作った主語で自分を表現し、中身のない言葉で断定する。どこか老害っぽさすらある。
では、AIにはない色っぽさはどこに現れるのか。この1年、ひたすら考えてきた。
僕の答えは二つ。
一つ目は、コントロールできないものに逆らわず、楽しめる人。
二つ目は、自分の感情や性格を言葉以外のもので表現し、どう受け取るかは相手に委ねられる人。
この答えは変わるかもしれないが、2026年の僕はそう考えている。
コーヒーやワイン、サーフィン、釣り、キャンプを真剣に楽しむ人に、僕は「大人の色っぽさ」を感じた。産地や焙煎によって味が変わるコーヒー。いい波が来なければ乗れないサーフィン。自分ではコントロールできないものを楽しむ、子供のころには分からなかった大人の遊びに近い。
二つ目は、アーティスト的な要素がある人。自分の内側にあるものを表現し、受け取り方は相手に任せる。こちらは子供のころの感情を貫き通した大人の遊びに近い。そして、両者ともに譲れないこだわりを持っていそうだ。
そう。これこそAI時代に生き延びる人間なのだろう。
【23歳、詩に投資する】
では、阿波宏典はどこから攻めるのか。
僕がどの分野でアーティスト的要素を発揮するか、この明確な答えは出ていない。
ただ、歌がうまいわけでも、絵がうまいわけでもない。僕が唯一できることは詩という形式に言葉を紡ぐことだと思った。
ここで、一つ書いた詩を紹介しよう。
【捨てたかったはずの靴
この詩は、【父が生きた世界を考える息子】がテーマだ。
父の母も教師だ。父は、僕たち息子に教師になりなさいと常に言ってきた。
きっと、父も自分の母から言われ続けてきたのだろう。目指すと周りや母は認め、褒めてくれたに違いない。その証拠に父の妹も教師だ。
でもそれがなんとなく違うこともわかってたのかもしれない。本当は東京で暮らしてみたかったらしい。
きっと息子たちは自由に生きてほしいと思いながらも、教師のありがたみや自分がやってきた辛さを理解してほしくて、教師になりなさいと言ってきたのだろう。
でも、心の底では自分も自由に生きてみたかった。だが、そのころには教師の世界になじみ、自分も歳をとっていた。これを靴と顔のしわで表した。
一番伝えたい事は、老害っぽい人がいたとしても、その人も実は被害者なのかもしれない。
そういう目線で生きると優しくなれるよねと言ったところだ。
でも、そのまま表現してしまっては角が立つ。
アートとして表現することで、丸く届くのだ。どう受け取るかは読み手次第。こちらに矢印が向くことは少ない。
現代っぽいだろう。
これから、スピリチュアルや占い、感覚的なものの価値が上がると思う。数字の管理だけができる経営者や事務仕事は、もういらない。どんな人生を送り、どんな言葉や表現を残すかだ。
この新聞が価値を持つころ、経営者として展示されているのか。詩人として展示されているのか。
答え合わせは死後だ。
23歳の阿波宏典は、詩に投資をしてみようと思う。
【花が咲くころ】
この投資は、社会に成果を出せば出すほど、ギャップが生まれて味が出ると思う。
例えば、上場したとき。上場企業の社長が、裏では詩を書いている。面白いじゃないか。
社会の中での立場と、本当の自分を表現できる場所。その二つを持つ人は少ない。相反するものを強く持っておくことこそ、人間を楽しむことなのかもしれない。
【最後に】
この感覚に近いものがある。
それは、エビ油だ。
今までにないものを作り、どう使うかはお客さん次第。約50人のモニターから意見や感想、思いもよらない食べ方が集まり、商品化を目指している。
隠されたタイトルは「入院中の憧れ」なのかもしれない。
過去の感情を商品という形にし、誰かの食卓へ届ける。作り手の想像を超えた使い方が生まれていく。この開発方法も、この商品も、実にアートなのだ。
これからの時代の幕開けだ。
AIに立ち向かうために種をまこう。どこから芽が出るか、まだ分からない。
僕たちは実に面白い時代に生まれたものだ。
今回の話が長すぎて、書きたいことをすべて書ききれなかった。
次回のタイトルは「ここで出す後出しじゃんけん」。
ドレッシングとエビ油のパッケージデザインに隠された戦略の話だ。
阿波新聞
社会の常識を知った。でもそれが正しいとは思わなかった。
辛かったけど信じ抜いた。
その判断が今の阿波宏典を作ってる。
【普通を知った高校時代】
小学校は、周りの大人から優しく扱われたり、過保護にされたり、ひどい扱いを受けたりしてきました。そして中学時代は、グローブの型付けで先生の時給を超え、反抗期を過ごしながら、自分の欲しかったものを手に入れることができた。
そんな15年間を過ごし、高校に入学します。
高校は山口県立下関北高校という、偏差値40くらいの普通科高校に進学し、野球部に入りました。
入学式の翌日、同級生たちとなんとなく話してみるのですが、全く話がかみ合わない。そこで初めて、それまで自分が過ごしてきた環境との違いを目の当たりにします。
小中学校の同級生は、やんちゃで、よく先生から怒られていました。
ただ、いいやつばかりでした。
僕は小学校1年生のころから、感染症のリスクがあるため、汚れ掃除や田植えなど、みんなが当たり前にやることをさせてもらえませんでした。みんなの前で、僕の病気についてひどいことを言われたことだってあります。
ずっとベッドの上で寝たきりになり、生死をさまよっていたのですから、誰よりも足が遅く、体力もありませんでした。
足が速い人がモテる小学生の世界では、僕を下に見る方が簡単です。先生の味方になった方が楽に生きられる。
僕がいじめられる対象になっても、おかしくなかった。
ただ、同級生はいつも僕の味方になり、守ってくれる人たちばかりでした。
口裏合わせや言い訳がダントツに上手で、僕のために嘘をついて守ってくれる友達ばかりでした。
今でも、小中学校の友達は、営業成績No.1になるような人たちばかりです。
そんな環境から高校に入学したわけですから、どうしても会話が成り立たない。
そこには、夢を語れば笑われ、行動すれば叩かれる。そんな世界が待っていました。
良くも悪くも、今までの友達のレベルが高すぎただけで、これが普通なんだと知りました。
高校の友達は、怒られた経験が圧倒的に少ない。怒られることに怯え、夢を語れない15歳の思春期ばかりでした。
でも、それは世間から見れば優等生です。
将来の夢はない。
「なんとなく楽そうだから、公務員でいいかなー」
本気でそんなことを言っている同級生たち。
目指したい夢というより諦めた上での夢。
一方、中学の同級生は、いい意味で大人や大人が作った固定概念をバカにしていました。その人たちに怒られる分には、何のダメージもない。
社会不適合者ばかりでした(笑)
本当に、あの中学校、あの学年に生まれてこれてよかった。
募金が集まり、手術に成功したことが一番の幸運だとするのなら、あの30人と同じ地域、同じ学年に生まれてこれたことが、二番目に運がいいことだと今でも思います。
ありがとう。
【グローブ事業完全閉店】
そして、相反する世界を体験した僕は、グローブ事業を完全にやめる決断をします。
高校が世間の普通だとするのなら、グローブで稼いでいることを同級生は怪しみます。
先生方からも「そろそろ進路を決めないとね」と言われる。
このままでは大きなことはできないし、100億円の募金だって絶対に実現できない。
そんな社会への違和感に、目を覚まされたのです。
そんなころ、野球部の試合で、たまたま「君に募金したんだよ」と声を掛けられます。
精一杯の感謝は伝えたものの、それ以上に返す言葉がなく、苦しかった。
何か、自分の人生を表すものを作りたい。
そして、みんなが理解できるものを作ろう。
そうして生まれたのが、ドレッシング「DOREBI」だったのです。
【彼女ができて学んだ価値観】
高校では、僕にも初めての彼女ができました。
人生でここまで人を好きになったことは初めてで、意外と長続きもしました。
野球部の選手とマネージャーという関係で、高校3年生のころには、一緒に応援団長と副団長も経験します(笑)
高校に行くことが苦痛だった僕に、学校に行く楽しみを与えてくれたのは、間違いなく彼女でした。
この経験もあって、今まで嫌いだった先生たちを、少しリスペクトできるようになります。
お金や肩書だけがすべてじゃない。
頑張っている分野が違うだけで、みんな何かに一生懸命に生きているんだ。
僕なんかより何十年も夫婦でいて、子育てに関する知識や経験だって、先生方には勝てない。
そんな目線を与えてくれた経験でした。
【まとめ】
今振り返ると、高校が僕にとって最初の「社会」だったと思います。
それと同時に、中学の同級生や自分が、世間の普通から外れていたんだと実感しました。
最初はそれを認められなかった。
でも、世間に合わせる能力を身につけるしかないと思えたのが、15歳でよかった。
この3年間がなければ、今でもグローブ事業を続け、深夜バイトをして、小金持ちになってかっこつけていたかもしれません。
でも、それでは誰も救えない。
そんな思春期の僕が、あの空間に身を置いたことも、今思えば神様から与えられた訓練だったのかもしれません。
何より、頑張るモチベーションが、怒りから「誰かの希望になりたい」という思いに変わったのも、このあたりからです。
僕は、世間の普通を知ったことで、自分の将来を見直すことができました。
そして、普通に合わせることと、自分の可能性を諦めることは違う。
世間に合わせる能力を身につけながら、自分の信じた道を進む。
この両方が必要なんだと思います。
ちなみに、彼女とは大学1年生の夏にお別れしました(笑)